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もし清水富美加が自殺していたら

 

突然の芸能界引退。

幸福の科学への出家。

 

続いて、本の発売、不倫騒動など、話題を欠かない清水富美加さんに関する一連の出来事ですが、一般市民である私 しょう がこのニュースの本質を考えたいと思います。

ぜひ、最後までお付き合いください。

 

今回のニュースを考えるうえで、私は大胆な仮定をしました。

それは、「もし清水富美加さんが自殺をしていたら」というものです。

まず、このような不謹慎な仮定をしていることで、不愉快に思われてしまった方々、申し訳ありません。

ただ、”本質”を考えるには、やはりこれを想定してみる必要があると判断いたしました。

 

今回、芸能界で悩みに悩んだ末、幸福の科学へ出家という選択をした清水富美加さんですが、

死にたいと口にすることもあったようですし、直筆のメッセージでもギリギリの状態であったと綴っています。

彼女は、幼い時から幸福の科学という宗教にかかわりがあったことから、駆け込み寺がありましたが、もしそういった境遇になければ、彼女が死を選択するという可能性は無きにしも非ずでした。(もちろん、そのバックグラウンドがなければ、芸能界で苦しむこともなかったという可能性もあります。)

 

つまり、彼女が全てから逃げ出したいと思ったときに、自殺をしていた可能性は十分にあり得たということです。

 

現在、この一連の事件で専ら話題の中心にあるのが「責任」と「こころ」の問題です。

 

今回、すべてを取りやめて出家したことで、事務所以外の制作会社などに迷惑がかかり、また本を出版しているなどという状況から、清水富美加さんの仕事に対する責任を問う発言、意見が多くみられました。

 

しかし、仮に彼女が自殺をしていたら、そうはならなかったでしょう。

彼女の責任を問う声はほぼ皆無となり、自殺にまで追い込んでしまった事務所や芸能界の在り方など、彼女のこころの問題として、このニュースは取り上げられることとなったでしょう。

 

何が言いたいのかというと、最初にも言ったように自殺という可能性は大いにあったのであり、やはり彼女自身の責任を問う以上に、彼女のこころへスポットを当てる必要性のほうが高いということです。

このニュースの本質はやはり彼女のこころの葛藤に焦点を当て、労働環境を見直すことや芸能界の在り方などを考えることにあるのだと思います。

実際、少し前に起きた電通の社員の女性が自殺を選んだことと今回の騒動は同じ問題を呈してるといえます。

今回、人が死んでいないために、「責任」の問題が多く語られていますが、私はそれ以上によい労働環境を整えること、芸能界の体質が変わることのほうが明らかに重要であると思います。

 

そして、もう一つ語らなければいけないのが宗教と私たち日本人の在り方です。

 

日本は無宗教の人が多いのは周知の事実です。

そして、宗教色の強い人は、煙たがられているというのも事実であると思います。

 

正直、私にも宗教を信じるという感覚がわからないのも事実です。

ただ、宗教を信じる人の気持ちはなんとなくわかります。

 

私たちはわからないものに勝手にレッテルを貼って遠ざけすぎだと思うんです。

 

また、別の仮定をしてみましょう。

 

もし彼女の出家先が仏教の一派で、頭を丸めて登場したらどうだったでしょうか。

きっと、洗脳などという言葉は出てこなかったでしょう。

しかし、それが幸福の科学という新しい宗教であったがために、偏見的な見方をされてしまっています。

 

でも、よく考えてみれば幸福の科学についても、仏教についても私たちはよく知らないんです。

 

ただ、なんとなく新しい宗教でなんとなく変なイメージのある幸福の科学と、歴史の教科書で学んだちゃんとしたイメージのある仏教ぐらいの認識しかないと思うんです。

それなのに、私たちは宗教については頭ごなしに敬遠して、そのレッテルのままに判断しすぎであると思うんです。

 

それに、私たちはみな信仰心を持っています。

 

あこがれの人がいてその人の考え方に忠実であったり、名言・格言を重んじていたり、自己啓発本を読んだり、熱狂的な芸能人のファンになったり、誰にでもあることです。

みんな気づいていないだけで、何かを信じていると思うんです。

 

そういう意味では、宗教は遠い存在ではないと思います。

 

ただ、宗教と日本人を確実に隔てているものは、死や神の概念です。

 

その存在は誰も証明することはできないし、多くの日本人は生まれたときにそのようなものを信じる環境にない。

 

それゆえ、宗教というものを敬遠してしまうのだと思うんです。

 

ただ、死を意識するぐらい、自分の人生は何なのか、なんのために生まれてきたのか、人生で何を成し遂げたいのかなどを真剣に考える必要はあるのではないかと思うんです。

 

そしたら、その答えが見つからなくても、宗教を信じることはなくても、他の人の信仰というものをより受容できるようになるんじゃないかと思います。

 

今回の騒動の、背景にいろいろな思惑がうごめいているのは事実でしょう。

しかし、本質に目向け、芸能界の環境が、一般的な労働環境が、社会の姿勢が、少しでも良い方向に進展することを心から望んでいます。

 

文責:しょう

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